敬老の日を迎えて
朝位 真士
先週の19日(日)は、敬老感謝の祝福を礼拝の中でお祈りさせていただきました。祈りの中で次の聖句を引用いたしました。「老いの日にも見放さず/わたしに力が尽きても捨て去らないでください。」(詩編71・9)「わたしが老いて白髪になっても/神よ、どうか捨て去らないでください。/御腕の業を、力強い御業を/来たるべき世代に語り伝えさせてください。」(詩編71・18)「神に従う人はなつめやしのように茂り/レバノンの杉のようにそびえます。/主の家に植えられ/わたしたちの神の庭に茂ります。/白髪になってもなお実を結び/命に溢れ、いきいきとし/述べ伝えるでしょう/わたしの岩と頼む主は正しい方/御もとには不正がない、と。」(詩編92・13~16)
パウロは教会の人々に対して、「老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい。若い男は兄弟と思い、年老いた婦人は母親と思い、若い女性には常に清らかな心で姉妹と思って諭しなさい。」(Ⅰテモテ5・1~2)と語っています。
フミ子師と私も後期高齢者になりました。桜ヶ丘教会に赴任させていただいた時は、私が50代、フミ子師は40代後半で、すでに27年が経過しました。私共の祈りは、桜ヶ丘教会の若い人々が教会の責任を担って活動していただきたいということです。勿論、高齢者の先輩方の良い伝統と証しを、若い方々に継承していただきたいと思います。また将来、桜ヶ丘教会にふさわしい後任牧師が与えられるようにと祈っています。皆様方にも、毎日密室でのデボーションの時にお祈りしていただきたいと、最近特に考えるようになりました。